2017年11月9日〜11月3日(国立コートギャラリー)


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克敏の作品




                臨書 孝女 曹画 (伝 王義之)


  

  

  肥満せる 金魚の如き 火竜果  抱けば 赤き  血潮 滴る
    



 
 「なりはひを 終えて 夕餉の 青田風」 自詠句

 



            
 灌山の木陰に題す (王陽明)


               
   



 
 横二列  潮の満ち引きさながらに  春日うららを はないちもんめ  (自詠)








      
  臨書 中務集 (伝 西行)





克敏の漢字かな交じりの書への挑戦

漢字と仮名(ひらがな・カタカナ)で成り立つ文章は日本だけのものです。
それゆえ,漢字だけの国・中国の書にには 臨書したくてもそのお手本がありません。

長い間、日本の人々はこの「漢字仮名まじり文」の書を独自に研究し挑戦して来ました。
先人たちも手紙文などに 美しい作品をたくさん残しています。

漢字かな交じりの書は自分自身で創造していくしかありません。
まず何を書くか、字の形、筆圧、リズム、墨の色、空間の美、品格、ハーモニーなど、
さまざまな要素をからませて作品が生まれます。
しかし、
現在の書展の多くが 団体や流派の中に安住し創造性のない、師と同じ字が氾濫していますし、
そして、下手うまを狙った字、迫力だけを売り物にし、こねくりまわした大きな字などが流行しています。
ここ数年の大河ドラマなどの題字で 「なに?これ」という感じのおどろおどろしい字が増えて品格など二の次といったものが跋扈しています

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克敏は書の団体や流派に属せず、一人で黙々と精進してきました。
だからいまだに無名ですが、今になってみると一人で自由に創造してきたことは幸せなことでした。
また自分の詩や俳句短歌、文章などを作品に書けることも嬉しいことです。
死んでしまえば その人のその作品のみが残ります。
後、何年生き、何年筆を持てるでしょうか。彼は毎日筆を持ち、充実した日々を送っているようです。

今回のグループ展の真摯なみなさんの作品群をみて、私自身を見つめました。
限られた残りの人生私は何をすべきか 考えを新にしたことでした。
                                            (道子の感想)





        
               

 


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今までの克敏の個展          
道子とKのギャラリー

     

             
                                  
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