第24 回 恒河沙書展 1 克敏の作品
 
2015年11月26日〜12月1日(国立コートギャラリー)  

                    
     会員の作品A    会員の作品B    







推雲の作品

漢字かな交じりの書への挑戦
漢字と仮名(ひらがな・カタカナ)で成り立つ文章は日本だけのものです。
それゆえ,漢字だけの国・中国の書にには 臨書したくてもそのお手本がありません。

長い間、日本の人々はこの「漢字仮名まじり文」の書を独自に研究し挑戦して来ました。
先人たちも手紙文などに 美しい作品をたくさん残しています。

漢字かな交じりの書は自分自身で創造していくしかありません。
まず何を書くか、字の形、筆圧、リズム、墨の色、空間の美、品格、ハーモニーなど、さまざまな要素をからませて作品が生まれます。
しかし、
現在の書展の多くが 団体や流派の中に安住し創造性のない、師と同じ字が氾濫していますし、
そして、下手うまを狙った字、迫力だけを売り物にし、こねくりまわした大きな字などが流行しています。
ここ数年の大河ドラマなどの題字で 「なに?これ」という感じのおどろおどろしい字が増えて品格など二の次といったものが跋扈しています。


克敏は書の団体や流派に属せず、一人で黙々と精進してきました。
だからいまだに無名ですが、今になってみると一人で自由に創造してきたことは幸せなことでした。
また自分の詩や俳句短歌、文章などを作品に書けることも嬉しいことです。
死んでしまえば その人のその作品のみが残ります。
後、何年生き、何年筆を持てるでしょうか。彼は毎日筆を持ち、充実した日々を送っているようです。

今回のグループ展の真摯なみなさんの作品群をみて、私自身を見つめました。
限られた残りの人生私は何をすべきか 考えを新にしたことでした。
                                            (道子の感想文)



「青嵐 野の石ぼとけ 草を噛み」 自詠 (19×42,8p)







  

(54,4×12,4p)
会場に来られた ある評論家から
「今日本で 漢字かなまじり文を これだけ書ける人はいない」 と
褒めていただいたそうです。



ひばり騒ぐ   遠足帰りの小学生
ひばりあがる 歩き始めたおさなご
ひばり落ちる  天使の脱糞 
  自詠  (半切横)






その昔仏殿なりし 岩壁に  顔の失せたる仏 並み座(いま:)す 自詠








臨書
  孟法師碑


                         180p×96p

 

                                       拡大字

  

五日市高校の教え子たちと                      伊豆大島高校の教え子と




詩経 桃夭  (32,3×39,7p)

 絵・克敏  
                           

     

    

                                                   

  




(69×17,5p)


樽酒楽餘春 稘局消長夏(蘇軾) (半切横2分の1)







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奄美大島での書の講演
今までの克敏の個展          
道子とKのギャラリー

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