広州博物館
一人で地図を片手にでかけました。 この博物館は秀越公園の中の山の頂上にあります。 坂道を尋ね尋ねて、40分ほど歩いてたどりつきました。 明の時代に建立された、「鎮海楼」という建物が博物館になっています。 この「鎮海楼」は秀越山の城壁の上に建てられた有名な古代建築物の一つです。 西側には大砲の台座があり、明代の各種大砲が並んでいます。
中一階は漢代〜元代、2階は明代〜清代、 3階は清末〜近代のものが陳列されていて、 昔から貿易の盛んだった広州の様子がよくわかりますが、 貴重でいいものは陳列されていませんでした。 また中は撮影禁止なので写真で紹介はできません。
さすが南国の城、外に面した廊下(ベランダ)が美しい。
広州のビル街を望む
明代の城塞と各種の大砲
唐代・特別展
別棟で特別展をやっていましたので覗いてきました。 撮影禁止でもなさそうなのでシャッターをきりました。
箱物の拓本
何度みても飽きない造形です。
広州市の美術館
同じ越秀公園内にあります。緑むせる坂道を降りやっと探しあてましたが 休館中で中にはいれませんでした。
この秀越公園は秀越山を中心とする868,000uの面積、3つの池と7つの丘をもつ 広大な植物公園です。12月なのにさまざまの花が咲いていました。 先に紹介した五羊の像もこの公園内にあります。
終
西漢南越王墓博物館
秦の崩壊後 秦の将軍であった趙佗が自ら王と名乗り 「南越国」を建国現在の広州を都としました。 1983年偶然2代王「文帝」の石室墓が見つかりました。 2200年前のもので、玉器、青銅器、陶器その他 1000以上の埋蔵品が出てきました。 今、その場所がそのまま博物館となっています。 一地方の王がこれだけの豪華な墓を持てたということに驚きます。
前言
絲ろう玉衣 1119枚の玉片と赤いシルクの糸で作られた衣装の中に 王が埋葬されていました。
お棺 埋められていた兵馬俑(高さ50センチぐらい)
地下の墓の中を見学することができます。
終り
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