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厦門探訪 ジャンク
厦門大学1
パソコンと「アモイの風」
北京で4年間教えた後、5年目は福建省の厦門大学に赴任しました。私たちは60歳になろうとしていました。
私は自分の還暦を祝って自分自身にパソコンを買いました。帰国中の夏休みに駅前のパソコン教室でパソコンの技を習う事にしました。
授業の資料やテキスト、テスト問題作成、日本の家族との連絡にパソコンが必要になってきたからです。
長女が「マウスで絵が描けるよ」「自分のHPをつくると世界中の人に絵を見てもらえるよ」と教えてくれました。
そんな夢のようなことが本当に出来るのかと最初は驚きました。が私も是非やってみたくなりました。
9月の新学期、パソコン技術を完全にマスターできないまま、「ノートパソコン」と「HP作成ソフト」と「水彩画のソフト」を持って厦門大学に出発しました。
そして一ヶ月後、悪戦苦闘の結果、どうやら一人で私のHP「アモイの風」を公開することができました。嬉しかったです。
私たちはその数年後、中国以外の国にも行きましたが、「HP・タジクの風」や「HP・マガダンの風」で日々の生活を日本に伝えることができました。
この「HP風シリーズ]は両国のみなさんのお役にたったようです。
HPを見た日本の友人たちの中国に対する先入観や偏見を解くことができました。そして日中友好に協力してくれる友人も増えました。
また「タジキスタン」は日本人が気軽に行ける国ではないので、日本では情報はあまり手に入りません。「HP・タジクの風」は中央アジアなどに赴任する方から非常に喜ばれて、何人もの方からお礼のメールを頂きました。
一方タジキスタンの学生からも「私たちの国を日本に紹介してくれて本当にありがとう」と感謝されました。
さてパソコンのことですが、この10年で中国の大学の設備は近代化し、コンピュータ化されました。学部からの連絡事項や学生の成績報告、テスト問題の提出、種々の報告書など全てパソコンで行われるようになりました。
なんだか人間関係が薄らぎ、学部の先生とも会う事が少なくなりました、コンピューター社会は良いことばかりではないと思いました。
教室もコンピュータ化し、ヒヤリングの授業やパネル説明などもパソコンを通じて映像をスクリーンに写して行います。
私もどうにか歌や会話などの音声をパソコンを使って授業を進めることができました。パソコンを習っていたので恥をかかずにすみました。
現在の私は毎日パソコンで絵を描き「パソコン水彩画三昧」の毎日です。パソコンのおかげで充実した老後の日々を過ごしています。
厦門大学
アモイは「厦門]と書き、中国語では「シャーメン」と発音します。大きな家の玄関という意味があるそうです。政治色の強い北京の緊張感と違い、アモイは明るく解放的な土地柄した。
厦門大学は重点大学で南方の有名校です。華僑の「陳嘉庚」氏の寄付によって90年前に開校された歴史ある大学で、魯迅先生もここで教鞭をとっています。
キャンバスの美しさは中国一といわれています。中央の池の前に本部の巨大な近代的ビルが新築されたばかりでした。
周りは南洋の花々が咲き乱れ後ろは海が広がっています。本当に美しい大学でした。
結婚記念写真を撮るウエディングドレスの花嫁と新郎が何組もキャンバスに来ていました。キャンパスは一般の人にも解放されて観光ルートの一つにもなっていました。もっとも日本語科は古い校舎でした。
厦門の花
厦門は経済特別区でありケ小平が南巡して自由経済を民衆に訴えた土地です。貿易のできる大きな港を持ち、郊外には国際見本市用の大会場もあります。アモイ国際マラソンも年々有名になっています。
特産品はお茶、墓石、海産物、花、鰻などすが、 海外企業の工場を多く誘致し、アメリカのコンピューター会社DELLの工場もあります。またその頃すでに新築マンションの不動産ブームが始まっていました。今はマンションはすっかり高騰してしまったそうです。
中国政府はその頃、各大学に経営の独立採算制を呼びかけていました。それに乗った厦門大学はなかなか経営が上手に見えました。
先生方も副業を持っている人が多く、裕福に見えました。
私達外国人教師の給料も北京よりもうんと高く待遇はよかったのを覚えています。そういえば大学の外事弁で外人教師を杭州旅行に連れて行ってくれました。
夏休みの帰国は船で香港周りで帰ったのも懐かしい思い出です。
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